2012年3月31日土曜日

食品新基準値 放射能への受容と受忍は違う

愛媛新聞社
特集社説2012年03月27日(火)
食品新基準値 放射能への受容と受忍は違う
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201203279017.html

 食品に含まれる放射性物質の数値を規制する基準値が4月から厳しくなる。汚染食品が無秩序に出回らない保証となるならば、消費者にとって安心材料にはなるだろう。
 対象は放射性セシウムに限られる。現行の暫定基準値と比べると、新基準値は一般食品が4分の1以下、飲料水が20分の1以下だ。さらに乳児食品 の区分を設け、より厳しい規制をかける。成長途上の子どもの体は放射線の影響を受けやすいとされるだけに、理性的な判断といえよう。
 東京電力福島第1原発事故が起きるまで、国内には規制値がなかった。このため国は国際放射線防護委員会(ICRP)という専門家集団がつくった指標を暫定基準値と称して代用してきたわけだ。
 「暫定」という言葉だけでも消費者は敏感になる。これまでの食品管理に問題がなかったのか疑念を抱いて当然だ。事故から1年余が過ぎての変更もあまりに遅すぎる。
 新基準値をめぐる議論も後味の悪さを残す。文部科学省の放射線審議会が、規制強化を目指す厚生労働省に批判的意見書をつけた。基準値の厳格化が復興を妨げるなどとする内容だが、被災地を人質にとるかのような言い草にあきれるほかない。
 混乱や風評を避けたいばかりに温情主義に偏り、単純化した情報を流すことほど愚かなことはない。そもそも消費者の不信は汚染原因者である東京電力、情報開示を怠った国に向くはずだ。「消費者」と「生産者、被災者」の対立をあおるような風潮こそ省みなくてはなるまい。
 国は小中学校の屋外活動を制限する基準づくりなどでも緩い判断をしては改める失態を繰り返した。食品の新基準値の意味と解釈を丁寧に説明し、検査体制の実効性を保つことで実績を重ねていかなければ信頼回復はない。
 頼りない国や専門家を尻目に、企業や生産者は厳しい独自基準や自主検査を打ち出している。その努力は評価に値するが、基準の混在が国の規制を形 骸化させては消費者も立つ瀬がない。意味なく「放射能ゼロ」などとラベルを貼るような表示競争が過熱すると、産地の不当な排除を招く恐れもあると心得た い。
 被ばく線量は少ないに越したことはない。いかに基準値を厳しくしても、これ以下なら安全だと断じる科学的根拠が少なすぎるのが現実だ。長く放射能汚染と向き合わざるを得ない現実もある。基準値は社会集団に対する「受容」の求めにほかならない。
 ただそれは、おしなべて我慢を強いる「受忍」であってはならないはずだ。あくまでも決定権は個人にある。リスク回避の社会的経費だけに目を奪われ、情報共有と対話の努力を怠ってはならない。

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